白紙の計画書

自己表現欲求と照れの狭間にいます

今日の地震とギャングース

 本日22日早朝、大きな地震福島県沖で起こった。僕が仙台に引っ越してきてから、覚えている限りでは初めての「津波警報/注意報を伴う大きな揺れ」だった。普段あまり家にいないし、多少大きな地震があってもあまり注意深く速報を見ないため、たぶん僕が覚えていないだけで何度か発生はしてると思うけど、まあ個人の印象だしそもそも本題はそこじゃないので間違ってても許してほしい。
 揺れに驚いて飛び起き、点けたテレビで流れるNHKの速報では、アナウンサーが「東日本大震災を思い出してください」「今すぐ高台へ避難してください」と繰り返していた。僕は当時、実家のある群馬県にいたため「津波」というものをリアルな災害として感じられたことがなかったのだけど、中継で海辺の定点カメラを映す中アナウンサーが緊迫した声で繰り返し避難を呼びかける映像というのはかくも不安になるのかと恐れ入った。

 東日本大震災を思い起こさせる地震のあった今日は僕の愛読している漫画「ギャングース(肥谷圭介・鈴木大介/講談社)」の最新14巻の発売日であった。

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「誰か機会を作ってくれ」というワガママ

 近い未来に就活やら何やらで、大学4年間で(いま5年目)何に一番打ち込んだかと問われたとき、僕は多分言葉に詰まる。
 そういった場で提示してウケがよさそうなIFIAMはハナから腰掛けのつもりで参加していざ真剣になれそうだと思った頃には忙しくて顔を出しにくくなったし、学業は他人より時間をかけたけれど時間をかけた以上のことはない。
 バイトはあれこれやってきたけども、今の職場以前のところはいろんな不協和で投げ出してきた。
 最も時間を使ったコミュニティは放送部だとは思うけれども、かと言って放送部の活動に時間を使ったかと言われるとそこはイコールでなく、大半の時間は部室で麻雀やスマブラ遊戯王をして遊んでいたし、まだ遊ぶつもりだ。

 

 ここまで考えて、「いや、瞬間最大風速なら」と思い至る。ラジオドラマ作りだ。

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すてきな言葉を使いたいな、という話 -「助かる」語法の普及を目指して-

どこのコミュニティにも、その界隈特有の物言いってあるじゃないですか。

 漫画のセリフの抜粋だったり、過去にそのコミュニティの誰かが放った面白い返答そのものだったり、コミュニティの文脈に高度に依存したある種テンプレのような受け答え。端的に言ってしまえば、僕たち日陰者が毛嫌いしており・そのくせいざ自分が使う立場になると空気を読まず連発してしまういわゆる内輪ネタってやつ。
 結局は程度問題で、適切に使えばとても優秀なコミュニケーション潤滑剤になるけれど用法用量を計り違えると大変だよっていうだけの話ではあるんだけれど、これがなんとも難しい。

 

 ボードゲーム仲間との会話ではすごい頻度で「吐きそう」「ホモする」「ツく」などのハイコンテクストワードが飛び交う。順に

・状況が非常に悪くて行動選択に悩む際の感情吐露、またそういったギリギリの状況こそが楽しいことから転じてゲームの楽しさが極まっている様
・(トップの独走を抑えるためなどの理由・あるいはプレイングミスで)自分の利にならないのに他プレイヤーが得をする行動を行うこと
・"ツイてない"の対義語的な用法を持つ語(ツいてくれ・ツかないなどの変形を含む)

と、表現の析出の仕方が最高に頭の悪い感じに煮詰まった語句である。
 こういったフレーズは仲間内で使っているうちにどんどん内包するニュアンスが熟成されていき、入出力コストの低減と伝達できる情報量の増加が同時に進んでいくがゆえに頻用に頻用を重ねられるのだ。加えて仲間意識の強調というか、秘密の合言葉的な「通じる者同士が持てる連帯感」を簡単に生んでくれるのも気持ちがいい。

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長い文章の書き方を忘れそうだ。

 スマートフォンのホーム画面の、右手の親指でタップするのに具合の良い位置に陣取ったツイッターのアイコンを見るたびに、最近はそう思う。思いながらも指は吸い寄せられるようにアイコンを叩き、フォロワーが発信する短冊の奔流を眺めているうちに僕はもっとインスタントな"面白い"を見つけてしまう。

 

 ツイッターというツールに出会ったのは高校生の頃だった。当時まだガラケーユーザーで、パケホーダイ的なサービスにも入っていなかった僕は、フォロワーのツイート通知とメールでツイートする機能を駆使してメールだけでツイッターを楽しんでいた。メールのやり取りであれば従量課金の枷から外れられたためであるが、光る通知ランプを目にした友人に「メール来てるよ」と指摘されるたびに「これはツイッターで云々」と説明をするのが気恥ずかしかった。
 大学生になってスマートフォンを持つようになり(正確に言えば、ガジェット通を気取っていた僕はWillcomのルータ機能付きPHSiPod touchを組み合わせて運用していた時期もあった。今から思えば不便極まりなかった)、青い鳥に拘束される時間は飛躍的に伸びた。SNSの功罪なんて小難しいことを述べるつもりは無いけれど、どんな場面であれ文章のアウトプットが脊髄反射的になってしまったことは、自分に関しては明らかだ。略して自明である。

 

 これは由々しき事態だ。仮にも僕は「小説家になりたい」の一点張りで県内最難関の中高一貫校に潜り込んだ実績を持つ文学少年の端くれじゃあないか。改めて文字に起こすと意味がわからないんですけど、よく入試通したよな。

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