白紙の計画書

自己表現欲求と照れの狭間にいます

今日の地震とギャングース

 本日22日早朝、大きな地震福島県沖で起こった。僕が仙台に引っ越してきてから、覚えている限りでは初めての「津波警報/注意報を伴う大きな揺れ」だった。普段あまり家にいないし、多少大きな地震があってもあまり注意深く速報を見ないため、たぶん僕が覚えていないだけで何度か発生はしてると思うけど、まあ個人の印象だしそもそも本題はそこじゃないので間違ってても許してほしい。
 揺れに驚いて飛び起き、点けたテレビで流れるNHKの速報では、アナウンサーが「東日本大震災を思い出してください」「今すぐ高台へ避難してください」と繰り返していた。僕は当時、実家のある群馬県にいたため「津波」というものをリアルな災害として感じられたことがなかったのだけど、中継で海辺の定点カメラを映す中アナウンサーが緊迫した声で繰り返し避難を呼びかける映像というのはかくも不安になるのかと恐れ入った。

 東日本大震災を思い起こさせる地震のあった今日は僕の愛読している漫画「ギャングース(肥谷圭介・鈴木大介/講談社)」の最新14巻の発売日であった。

 

「ギャングース」という漫画

 肉親のネグレクトによって窃盗をすることでしか飢えを凌げなかった子供、他に生き方を知らない札付きのワル、地域そのものが貧しいため不良社会に身を投じる事でしか食べていけない若者。
 様々な経緯で「正常な社会」から弾き出されてしまった不良少年たちは違法な行為に手を染めるしかなく、一度犯罪で食べていくことを知ったらその後は罪を重ねていくしか無い。「遊ぶ金欲しさ」「一時の気の迷いで」などと言った理由では無い切実な「生きていくため」に行われる少年犯罪、そしてそれの主たる原因となっている深刻な貧困問題を「ギャングース」は肥谷の決して流麗とは言えない・しかし魂のこもった熱く荒々しいタッチで真摯に描く。
(だからと言って犯罪行為を肯定する意図が僕にも作者にもないということは、念のため断っておく)

 虐待を逃れるため家出をして、あるいは少年院を出た後に行き先が無くて、他に寄る辺もなく不法なコミュニティに依存するようになり、犯罪行為によって他者を喰らって生きる糧にする。ヤクザの下働き、詐欺グループの末端、同じような境遇の若者が集った強盗団……最悪の形だが、これらが有刺鉄線で織られたセーフティネットとして機能してしまっているのだ。
 主人公も例に漏れず、虐待に起因した家出や犯罪で少年院に入り、出所後も行き場がなくて同じ少年院を出たもの同士で協力してタタキ屋(強盗団)を稼業としている。彼らが他の犯罪グループと異なるのは、「同業からしかタタかない」つまり犯罪グループの違法な収益のみをターゲットにする、というある種義賊のようなポリシーを持っているという点だ。
 彼らのような美学(漫画的には主人公陣営の美学と捉えるべきかもしれないが、通報のリスクが少ないなどの実益を根拠にしている側面が強い)もあれば、「同じ奪うでも、奪ったら自殺するような人間から毟り取るのは最悪、しかし金を持ってる人間からその日払える分だけ奪ってもそいつは死ぬほど苦しむことはない」と新入りを煽る詐欺グループのリーダー、退屈しのぎに金を稼ぎ退屈しのぎに金を使う半グレの王、とにかく日本人と価値観の違うチャイニーズマフィアなど、列挙しきれないほど異なるスタンスの勢力が入り乱れて、"生きるため"に市民の、そして互いの金と命を喰らいあう。

 荒唐無稽なように聞こえるかもしれないが、欄外にしばしば登場する注釈や単行本のコラムを読むと、少なくともこれに類することが僕らの生活する社会と地続きのところに存在するのだろうと察せられる。察せられるで済むのは僕らがたまたま恵まれていたからに過ぎないのだろうな、とも。
 原案とストーリー共同制作を務める鈴木は「家のない少年たち」「最貧困女子」などの著書で知られる、若年層の貧困や少年犯罪の現場を中心に取材を行うルポライターである。彼の綿密な取材がそう思わせるのだ。
 ギャングースは漫画なりの味付けが多分に含まれているが、鈴木氏の著作やwebで掲載されているコラムからは濃密な現場の空気が感じられるのでぜひ読んでみてほしい。

toyokeizai.net

この連載は後述の「悲惨をコンテンツとして消費すべきではない」という主張に関連するもの。

 

ギャングースの描く被災地

 だいぶん横道に逸れてしまった感が否めないが、とにかくギャングース14巻が発売され、そして買って、読んだ。
 13巻で始まった東日本大震災編。実際の震災直後に被災地で多発した「便乗犯罪」と呼ばれる犯罪をモチーフに描かれるエピソードである。13巻では舞台を東京から東北へ移すのに紙幅を使ったため、話が本格的に動き出すのはこの14巻からといってもいい。
 金銭が動くところ犯罪有りといったところで、東北最大の都市である仙台を中心に舞台が設定されている。若林区沿岸部の被災直後のありさま、避難所の様子、進まない復興……悲痛で凄惨な様が、現在こそ仙台に住んでいるとはいえ当事者で無い僕にも襲いかかる。

 便乗犯罪とは、災害などで行政や都市の機能が麻痺しているタイミングを狙って行われる犯罪の総称だ。火事場泥棒というとわかりやすいだろうか。作中では実際にあった犯罪の例として、周囲の人が避難して無人になった施設でのATM破りや、「緊急車両のために」とキーを挿したまま路肩に寄せた乗用車や重機の窃盗、原発事故の避難地域での空き巣、遺体からの貴重品窃盗などが挙げられている。
 中でも僕が心底ムカついたのは、家や財を失った方をターゲットにした詐欺のエピソードである。壊れたり流されてしまった家や車のローンが口座から引き落とされてしまうから弁護士である我々に預金を預けてください、差し押さえにも我々弁護士が間に立ちます、といった理屈で老人の預金を"全抜き"するといった手口だ。被災後の精神的に不安定になっているタイミングで、弁護士という社会的地位を騙って信用させ、被災者のその後の生活を根こそぎ奪っていく。こんな非道が許されるのか、と強く憤った。
 14巻を読了して少し落ち着いてから改めて考えると、もっともらしい肩書で信用させて資産をまるごと掠め取るなんてエピソードは過去にも色々存在した。思うに、「仙台で起きた出来事である」という前提をそれまでに叩き込まれていたから感情移入の度合いが違ったのかな、と。

 このように、作中では実在の犯罪(に酷似した、それをモチーフにした犯罪)の手法が詳らかに描かれている。こういった漫画なので、例えば連載紙面でアオリとか単行本の帯だとかに「この作品はフィクションだが犯罪の手口は実在なので防犯に役立ててください」といったふうな文句が書かれていることが多い。実際、空き巣に入る際の描写を参考にすると自宅のセキュリティの甘さに気付かされるなど、そういった読み方は可能だろう。
 だが鈴木氏は、「本作は日本の貧困問題を見つめる作品であって、防犯漫画ではない」といったスタンスを取っている。先に紹介したコラムでも「見世物としての貧困の消費」を痛烈に批判しているように、いくら貧困問題を取り上げてもショーとして扱ってしまうとそこには支援への道も問題への本質的な理解も、何も残らないからだ(ギャングースを"防犯漫画"として読むことは貧困を原因とした少年犯罪をダシに防犯という実益を表現するショーであるといえるだろう)。
しかし彼は震災編が始まる13巻のあとがきで初めて、「ギャングースを防犯コンテンツとして読んでほしいと思った」と語る。ちょうどこのエピソードが始まった直後に熊本地震が起こり、東日本大震災当時の・ギャングースで描かれているような便乗犯罪が熊本でも起こりうると判断したためでもあるが、彼が度々主張する「見えない悲惨」問題が東日本大震災の後に浮き彫りになったことを受けてのことでもある。

 『ギャングース』や僕自身の著作でたびたび訴えてきたことが、ここには凝縮されています。人間の想像力とは非常に限定的で、人は自身が目にしたもの以外のリアルを、本当に存在するものだと認識できないことがあります。
(中略)
 また、単に悲惨をコンテンツとして垂れ流すことは、情報の消費商品化を招きます。雑誌業界では、被災地に絡む報道企画は、2011年の年末にはなかなか通らなくなりました。読者にとっては「もうお腹いっぱい」というわけです。
(中略)
目の前に無い悲惨に思いを馳せ、考え動く人たちの原動力になる。『ギャングース』もそういう作品であろうと思い、あえてこの震災編を書くことにしました。

(「ギャングース」13巻あとがきより)

  13巻発売直後にこのあとがきを何度も何度も読み、すぐ1巻から読み返し、今日の地震があり、14巻を読了後に13巻に戻ってまた本編とあとがきを読んで。
 どうしても広まってほしいと思って、まとまらないながらもこの記事を書いた次第である。
 当時宮城や福島などの被災地域に暮らしていた人には13巻・14巻は正直キツいと思う。それでも、13巻のあとがき全文だけでも単行本の価格以上の価値が僕にはあったし、あなたにもあると思う。気が向いたら読んでみてほしい。

 

 単純に漫画としてもすげー面白いので、絵が荒くても大丈夫な漫画ファンはぜひ。

  

ギャングース(13) (モーニングコミックス)

ギャングース(13) (モーニングコミックス)

 

 

ギャングース(14) (モーニングコミックス)

ギャングース(14) (モーニングコミックス)