白紙の計画書

自己表現欲求と照れの狭間にいます

すてきな言葉を使いたいな、という話 -「助かる」語法の普及を目指して-

どこのコミュニティにも、その界隈特有の物言いってあるじゃないですか。

 漫画のセリフの抜粋だったり、過去にそのコミュニティの誰かが放った面白い返答そのものだったり、コミュニティの文脈に高度に依存したある種テンプレのような受け答え。端的に言ってしまえば、僕たち日陰者が毛嫌いしており・そのくせいざ自分が使う立場になると空気を読まず連発してしまういわゆる内輪ネタってやつ。
 結局は程度問題で、適切に使えばとても優秀なコミュニケーション潤滑剤になるけれど用法用量を計り違えると大変だよっていうだけの話ではあるんだけれど、これがなんとも難しい。

 

 ボードゲーム仲間との会話ではすごい頻度で「吐きそう」「ホモする」「ツく」などのハイコンテクストワードが飛び交う。順に

・状況が非常に悪くて行動選択に悩む際の感情吐露、またそういったギリギリの状況こそが楽しいことから転じてゲームの楽しさが極まっている様
・(トップの独走を抑えるためなどの理由・あるいはプレイングミスで)自分の利にならないのに他プレイヤーが得をする行動を行うこと
・"ツイてない"の対義語的な用法を持つ語(ツいてくれ・ツかないなどの変形を含む)

と、表現の析出の仕方が最高に頭の悪い感じに煮詰まった語句である。
 こういったフレーズは仲間内で使っているうちにどんどん内包するニュアンスが熟成されていき、入出力コストの低減と伝達できる情報量の増加が同時に進んでいくがゆえに頻用に頻用を重ねられるのだ。加えて仲間意識の強調というか、秘密の合言葉的な「通じる者同士が持てる連帯感」を簡単に生んでくれるのも気持ちがいい。

 

 このお手軽感というのが厄介で、あくまでコミュニティ内のコミュニケーションコストを下げていただけに過ぎないものを、あたかも自分と対話する全てのヒトとのコミュニケーションにおいてコストが下がる魔法の言葉だと誤認してしまう。
 もちろん意識的には、あ、これは通じないぞ、といったブレーキを踏むつもりではいる。けれど僕のような脊髄反射で口が動く人間は、研究室のパソコンで解釈不可能なデータを眺めながら「吐きそ~~」と呟いては先輩に体調を心配される日々を送ってしまうのだ。
 共通の素地が無い相手に伝わらない言葉を使わない。コミュニケーションの基礎中の基礎であるこのことを意識しながら生きていかなければなあと折りに触れ思う。

 

 ただ、発端こそどこかの狭いコミュニティでこそあれ、それが人口に膾炙していくような例も多々あって。語感がキャッチーだったり、言葉そのものが口に出しにくいものでなかったり(僕が上で挙げた例は軒並み"口に出しにくいもの"に分類されると思う)、影響力のあるヒトが頻繁に使ったりなど様々な要因で、言葉が生まれのコミュニティを離れて一般化されるというのは面白い。

 何かにつけて「助かるぅ~」と言う仲良しの先輩がいる。
 週末が晴れなら「助かるぅ~」、ダイスの目が良ければ「助かるぅ~」、晩飯に誘われて快諾すれば「助かるぅ~」、映画の席がとれれば「助かった」、そして試験前には「助かりてぇ……」。

 聞けば、彼の所属する部活では肯定的な反応の八割が「助かるぅ~」らしい。僕もすっかり感化されて、最近ではすっかり助かりまくっている。
 皆さんもぜひ助かってみてはいかがだろうか。連発するに連れ自分が大自然的な何かに助けられて生きていることを実感できるのでオススメである。

 

 

 


完全に余談なのだけど、僕には無条件で対話のチャンネルを閉ざしてしまうタイプの人間がいる。「『ツイのオタク』の真似をする奴」である。ちょっと前まで魔剤とかぽきたとか言ってたクソみたいな量産型自称ネット廃人風の学生ツイッタラーのことを指しているつもりだ。
 『ツイのオタク』っていうのも随分乱暴な括りではあるのだが、ここではまあなんとなくの雰囲気で伝われば十分である。ちょっと語気の強い物言いと留年芸でウケを狙うオタクとか、それ原作のどこをどう読んだらそんなトチ狂ったサイコーの百合妄想湧いてくんの?みたいなオタクとかをイメージして書いているが、僕はああいう奴らは好きだ。気持ち悪さが気持ちいい。
 僕が「『ツイのオタク』の真似をする奴」を苦手なのは、おそらく"ハイコンテクストワードの熟成"になんら寄与していない、"意識的なブレーキ"を踏んでいない(ように見える振る舞いをする)という二点が原因なのかなあと、この記事を書きながらぼんやりと考えた。
 あと多分、キョロ充っぽいから嫌い。